金曜日, 10月 06, 2006

全ては神の栄光のために!

【ショートメッセージ】
第7日目「すべては神の栄光のために!」
私がまだ小学生だった時、夏のキャンプに出席し「これから皆は、神の栄光のために生きるんだよ」というメッセージを聞き、心のそこから、深く感動したものです。でも大人になると、いろいろ難しく考え過ぎてしまって、なかなかこの事実を喜べないのです。私たちはどうしたら、主の栄光を表せるのでしょうか?

実に単純なことです。被造物は創られた通りに生きるとき、主の栄光を表すことが出来るのです。聖書には「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる(詩19:1)」とあります。例えば鳥であれば、空を飛ぶように創られているのだから、自由に空を飛ぶことによって、神様の創造の御業(栄光)を表すことが出来ます。同様に花であれば、自分らしく咲くことによって、主の栄光を表すことが出来るのです。

では人間はどうでしょう?人間は何のために創られ、人間にしか出来ないことは何でしょうか?それこそ「礼拝」です。人間だけが心から主を喜び、礼拝を捧げることが出来るのです。こればかりは犬にも猫にもサルにも真似は出来ません。礼拝こそ、最も人間らしい行為であり、この、人間が最も人間らしい瞬間、私たちは豊かに主の栄光を表すことが出来るのです。礼拝については、次回以降、詳しく学びます。

また私たちには、きっと、「私」にしか出来ない「何か」があるはずです。聖書には「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい」と勧められています。私たちに与えられている賜物は何でしょうか?そして私にしか出来ないことは何でしょうか?それを通して神様に仕えるとき、神様の栄光は、最もまぶしく輝くのです。

しかし気をつけましょう!私たちは、自分自身を輝かせるのではありません!!私たちはただ、月が太陽の光を反射しているように、イエス様の栄光を、反映するだけなのです。つまり私たちは、鏡のような存在です。この私たちが、いつも明るく輝いているためには、汚れてしまう心を、常にイエス様の血潮によって聖めていただく必要があります。そうして初めて栄光は、暗闇に、明るく輝くのです。

どうでしょうか?あなたには、この世という暗闇の中で、主の栄光を、まぶしく輝かせているでしょうか?心から喜んで礼拝を捧げ、自分の賜物を、主のために用いているでしょうか?◆それとも、自分の賜物を用いて、自分を輝かせようとしてしまったり、自分の力で主の栄光を輝かせようとして、疲れてはいないでしょうか?◆私たちは、主の栄光を反映する鏡なのです。主の血潮によって洗われ、キリストの栄光を回りに示していくのです。これは御霊なる神の働きなのです!

「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を
反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
(Ⅱコリント3:18)