金曜日, 10月 06, 2006

第3日目「人生を動かすもの」

今日のテーマは「人生を動かすもの」ですが、正確には「人生を導くもの」と言ったほうが良いのかもしれません。私たちは自分で決断し、人生を歩んでいるようでも、実は様々な力によって、人生を導かれているのではないでしょうか?

今日のテーマは「人生を動かすもの」ですが、正確には「人生を導くもの」と言ったほうが良いのかもしれません。私たちは自分で決断し、人生を歩んでいるように思えても、実は、様々な力によって、人生を導かれているのではないでしょうか?その一つ一つを、見てみましょう。

ある人は「肉の欲」によって人生を導かれています。ロトがまさしくそうでした。彼は遠くにある神様の祝福よりも「目先の利益」を求め、損得勘定によって生きていたのです。別な言い方をすれば、目に見えるものしか信頼できませんでした。また、今日の聖書の箇所にはありませんが、別な人々は「うらみ」や「罪責感」という、負の感情によって、人生を導かれています。過去に起こった事や、人から受けた悪をなかなか許せず、いつも思い出し、後ろばかりを振り返って、時には「その負の感情」を爆発させたりして、自分の身をすり減らし、周りも困らせてしまうのです。

またある人は「不安」によって人生を導かれています。とにかく現状維持が大切で、新しいことには挑戦しようとせず、決まりきった毎日を続けています。神様はその牢獄から、あなたを連れ出したいと願っておられるかもしれません。またある人は「人の目」を気にして生きています。「これをしたらどう思われるか?」「どう見られるか?」ばかりを気にして、したくもないことを、我慢して続けているのです。自分が、そういう人生を選びとっているにもかかわらず、本当の満足はありません。結局は「仕方がなく」そう生きているにすぎないからです。

そういうことを続けていると、いったいどうなってしまうのでしょう?まずは、段々と「無気力」となり「喜び」を失ってしまいます。そして目に見えないところでは、徐々に、神様が与えようとしておられる「本当の祝福」から遠ざかってしまうのです。神様は、私たちの人生に、良いことを計画しておられます。聖書にはこうあります。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。主の御告げ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。(エレミヤ29:11)」しかし私達の選択の仕方が、その祝福を遠ざけてしまっているのです。何と残念で、もったいないことでしょうか。

大切なのは、まず「目標つまりゴールを設定すること」です。パウロは「神の栄冠を得るために一心に走る」と言いました。私たちに与えられた時間は限られています。時間を有効に使うためには「何に情熱を傾けるべきで」「何に傾けるべきでないか」を知らなければなりません。あなたには、一心に目指し続ける、確かな人生のゴール(優先順位)があるでしょうか?また同時に、その人生という旅を「誰とともに歩むか」ということも大切です。知人や友人、伴侶はもちろん、もっと大切なのは、私たちを愛し、最高の友となってくださるお方、イエス・キリストとともに歩むことなのです。このお方と歩む時、荒れ地も花園へと、変えられるのです。

賢い人生の選択は大切です。しなくても良い苦労というものがあります。でも人生とは必ずしも「二者択一」とは限りません。たとえ「間違った道」を選んでしまったとしても、あなたが、そこでとどまり、それまでの人生を振り返り、本当に悔い改め、「これからは神様と一緒に、あなたを第一として歩んで行きます」と決断をするなら、そこから新しい人生が始まるのです。



神を愛する人々、
すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて
益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ8章28節