金曜日, 10月 06, 2006

第5日目「神の視点から人生を見る」

人には様々な能力が与えられています。今日の話しの中に登場するタラントは、「タレント(特別な能力や才能)」の語源ともなっている言葉です(マタイ25章)。話の中の主人は、旅に出る際、しもべたち呼んで、能力に応じて財産を預けられました。一人には5タラント(約3億円)、一人には2タラント(1億2千万円)、一人には1タラント(6千万円)。1人も0タラントの者はいませんでした。誰もが、何かしらのタラント(才能)を有しているのです。周りと比べて「1ラントしかない」と思うかもしれませんが、それでさえ、かなり高額であることが分かります。そして多くの人は、そのタラントを、ただ自分のためだけに使うのです。

よく読むと、そのタラントは、一時的に主人から預かっているにすぎないことがわかります。となると、もうけたお金も、自分ではなく、主人の財産になるのです。聖書にはこうあります。「すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントもうけました。』その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』(25:20-21)」預かっているのに、自分のものにしてしまったら、それは私物化です。立派な「泥棒」です。あなたはいつの間にが、預かったタラントを私物化していませんか?

そもそもなぜ、主人はしもべに大切な財産を預けたのでしょうか?本人も言ってのとおり、銀行に預けておくことだって出来たのです(25:27)。その方がリスクも少なく利息だって付いたことでしょう。でも主人はあえて、その財産を、しもべにまかせたかったのです。そうすることで、彼らを信用し、大胆にチャレンジさせ、失敗してよいから、人生を楽しみ、成長して欲しかったのです。それが主人(神様・天のお父さん)の愛だったのです。

そして5タラント預かった者と2タラント預かった者は、みごとその期待にこたえて、さらに5タラントと2タラントをもうけました。主人もたいそう喜び、こう言いました。「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。(20:21,23)」そうなのです。主人の一番の喜びは、自分の財産が増えることではなく、「主人の喜びをともに喜んでいる」しもべの姿を見ることだったのです。財産を任せたのは、それを知るためのテストでもありました。

しかし、1タラント預かったしもべは、そんな主人の心を全く理解していませんでした。そればかりかこう言うのです。「ご主人さま。あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました(24)」。それを聞いた主人はどんなに悲しかったことでしょう。このしもべは「自分のなまけ心(26)」を正当化するために、主人を冷酷非道な「ひどい方」に仕立て上げ「だから自分は1タラントを埋めたんだ」と主張したのです。

また、彼はこう考えたのかもしれません。「どうせ儲けたとしても、主人のものなんだ。頑張るだけ損だ」「だいたい、なんで俺が1タラントなんだ?やってられるか!」。彼はそうやって主人の喜びを、自分の喜びにすることが出来なかったのです。彼は、自分だけを愛し、主人を愛していませんでした。愛する人が喜ぶ時、私たちは自分も嬉しくなります。

あなたには、どんなタラントが預けられているでしょうか?何もない人はいません、誰でも必ず、何かしらの賜物が預けられています。あなたは、それを何のために用いていますか?自分のためだけでしょうか?しかしそれは、本来、神と人とを喜ばせるために、預けられているものなのです。自分のためだけに用いても、地面に埋めておいてもいけません。


『よくやった。良い忠実なしもべだ。
 あなたは、わずかな物に忠実だったから、
 私はあなたにたくさんの物を任せよう。
 主人の喜びをともに喜んでくれ。』
マタイ25:21