木曜日, 12月 21, 2006

Xmas

岐阜ラジオ
「クリスマスについてのインタヴュー」
イ:インタヴューアー桃井沙央理
牧:川村真示牧師

1.クリスマスは何の日?

イ:最近日本でもクリスマスは、すっかり定番行事となりました。特に日本では、恋人同士のイヴェントとなっていますが、本来クリスマスとは何の日なのでしょうか?

牧:いい質問をありがとうございます。確かに最近の日本でも、クリスマスは年々、盛大イにお祝いされるようになって来ましたね。でも、どれだけの人が、その意味を考えているのかと言うと、少し疑問になります。
  
大学生のころ、こんなことがあったんですよ。ある時、友人がこう聞くのです。
「おい川村、お前のお父さんも牧師なんやろ。だったらクリスマスって何の日なんや、教えてくれよ?」でも、別の友人が、われ先にとこう答えたのです。
「あぁ、それ俺しっとるぞ。クリスマスって、キリストの死んだ日なんやろ!?」
まぁもちろんそれは、ふざけてのことなんですが、本気だったら寂しいですよね。

ほとんどの方はご存知だと思いますが、クリスマスとは、「キリストのお生まれになった日」をお祝いする日のことです。このクリスマスという言葉の意味ですが、クリスとは、「クライスト」のこと、つまり「キリスト」のことです。(日本ではXmasと書きますが、あれがギリシャ語のクリストスの頭文字です。そしてマスとは、ラテン語の「ミサ」つまり礼拝のことなのです。)

そう考えると、本来のクリスマスの過ごし方とは、もちろん家族や恋人と過ごすのもいいのですが、できたらみんなで教会に行き、祈り、賛美歌を歌う、そんな過ごし方もいいのではないでしょうか。

少し余談になりますが、このクリスマスって世界共通語ではないのですよ。私は3年半、ドイツにいましたが、ドイツではクリスマスのことを「Weihnachaten」といいます。これは英語でいうところの「Holy night・聖夜」のことなのですが、私はてっきり、クリスマスは(マ
クドナルドと同じで)「世界の言葉」だと思っていましたので、始めの頃、クリスマスを「Weihnachaten」と呼ぶことに、すごく抵抗があったのを覚えています。

2.サンタクロースとクリスマスの関係?

イ:牧師さんのお話しを聞いていると、クリスマスの本当の主人公は「キリスト」だった、ということになりますね。でも日本のクリスマスでは、むしろサンタクロースのほうが有名だと思います。このサンタクロースとクリスマスの関係は何でしょうか?

牧:そうですね。実は、クリスマスとサンタクロースは、元々、別な行事だったのですよ。夢を壊すようなことを言って申し訳ありません。(良い子は耳を塞いでくださいね…(笑)先ほどドイツにいたと言いましたが、ドイツではいまでも、地域によって差はありますが、サンタクロースの日を、クリスマスとは別の126日にお祝いしています。

サンタクロースとは、ラテン語で、サンクトゥス・ニコラウスといい、有名なカトリック教会の司祭の名前でした。それがオランダ語、シンタクラースとなり、それが英語圏で、サンタクローズとなり、日本語でサンタクロースとなったのです。

しかも、このニコラウスさんは、フィンランドでもノルウェー出身でもなくて、紀元4世紀頃の小アジア、現在のトルコのお方であったそうです。ショックなことばかりいって申し訳ありません。でもガッカリしないで下さい。このニコラウスさんはとても優しいお方だったのですよ。こんな逸話が残されています。

「ある時に、非常に貧しい家庭がありまして、借金のために、三人の娘を身売りさせなければいけないことになってしまったのです。そしてお父さんは、そのことを本当に心からを悲しんでいました。その話を偶然、ニコラウスさんが知ってしまったのです。そこで、ニコラウスさんが、どうしたのかといいますと、夜中こっそりと窓から、金貨の入った袋を三つその家に投げ込んだのです。するとそのうちの一つが、たまたま暖炉の前に駆けられていた靴下の中に入った」そうなのです。

イ:だから今でも、靴下の中にプレゼントを入れるという習慣があるんですね。

牧:そうなんですよ。ちなみに、現代のような少し太っちょで、トナカイに乗って、クリスマス・イヴに、子供達にプレゼントを配るようなサンタクロースのイメージは、19世紀のニューヨークで生まれたといわれています。またその後、このサンタクロースの、赤と白というテーマカラーが買われて、ある清涼飲料水企業(コカコーラ社)のイメージキャラクターに大抜擢されたわけですね。そのことが、この現代版サンタクロースが、これほどにまで世界中に広まった理由だといわれています。夢を壊すような話で申し訳ありません。

3.なぜクリスマスにプレゼント交換?

イ:確かにちょっとショックですね…。でも、そうなると、クリスマスとサンタクロースは、それほど関係ないということになってしまいますが、そこのところ一体どうなんでしょうか?このままでは、ちょっと寂しい気もしますが…。

牧:ええ、心配しないで下さい。このサンタクロースが、クリスマスに活躍するようになったのにも、実は深い意味があったのですよ。よい子のみんなも、この部分は、ぜひ聞いてほしいのですね。本当の意味で大切なのは、サンタクロースの背中に乗っている、あの袋のプレゼント、あれが大事なんです。

イ:やっぱりそうですよね。私もプレゼントは大好きです。(笑)

牧:私もプレゼント大好きですよ。(笑)聖書にはこんな言葉があります。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ316節)

難しく聞こえるかもしれませんが、簡単に言えばこういうことになります。
  
つまり、サンタクロースの背中にある、白い布でくるまれたあの大きなプレゼントには、クリスマスの日に、家畜小屋で生まれて、白い布にくるまれていたイエス・キリスト本人、という意味があるのです。そして、そのキリストが、大きくなって、いのちをかけて、私達の罪のために、十字架にかかって死んでくださった。そしを信じるものはみな、タダで「永遠のいのち」が与えてられる。そういった意味がぜーんぶ、ひっくるまれて、あのプレゼントとなっているわけです。つまり、クリスマスの最高のプレゼントは、イエスキリスト本人だったのです。そしてサンタクロースは、「天のお父様(神様)」を表しているのですよ。

4.教会のイヴェント案内

イ:う~ん、ちょっと難しいですが、一つ分かったのは、自分が今までいかに、意味を考えないで、クリスマスをお祝いしてきたか、ということです。ところで、この岐阜キリスト教会では、クリスマスに何かイヴェントがあるのでしょうか?

牧:はい。ご案内いたします。1224日(日曜日)クリスマス・イブですが、午後6時から、キャンドル・サーヴィスといって、賛美歌を歌い、簡単な聖書の話しを聞く時間を持ちます。大体1時間くらいなのです。これはもちろん無料ですし、クリスチャンでない方も大歓迎です。

その後に、「祝会」といって、美味しいケーキを食べながら、お祝いのひと時を持ちます。またその中で、岐阜キリスト教会の名物の、子供達による聖誕劇・オペレッタが演じられます。(オペレッタとは、歌で綴る、オペラの、もっと短いもののことです。)素晴らしいですよ。ぜひおいでください。

ちなみに、この『祝会』の方にご参加の方は、ケーキ代など、本来300円が必要となります。でも、この番組を聴いて、始めてお越しくださった方は無料いたしますので、ぜひ多数でお越しください!お待ちしております。

イ:どうも今日は貴重なお時間をありがとうございました。

牧:いえいえ、こちらこそありがとうございました。

木曜日, 12月 14, 2006

御言葉によって変えられる

【ショートメッセージ】 第24日目「みことばによって変えられる」
今回のテーマは「真理のみことば」ですが、このみことばこそが、私たちを内から聖め、キリストに似たものと変えてくださるのです。しかし、このみことばが、私達の血となり肉となるためには、少しばかりの「秘訣」が必要となるのです。

規則正しい霊育こそが、健全な霊性を育てる。最近、食育という言葉がよく登場しますが、特に大事なのは「朝食」だと言われています。この朝食を抜いていると、脳の働きが悪くなり、徐々に体も弱ってきて、病気にかかりやすくなるというのです。「いのちのパン」も同じではないでしょうか?何か問題が起こってから、一度にたくさん食べても、霊的消化不良をおこしてしまうでしょう。しかし毎朝、規則正しく、適量食べることで、私達の心は育ち、霊性も整えられていくのです。

また良く噛まなければなりません。みことばには、柔らかいものと、硬いもの。そして分かり易いものと、分かりにくいものがあります。後者の場合、私達は「黙想する」という手段によって、みことばを何度も反芻する必要があります。また、聖研などで、みんなの意見を聞くことも大切でしょう。そして、週に一度は牧師に噛み砕いてもらい、どんなみことばもバランスよく食べることが大切なのです。

では、いのちのパンの栄養価は何でしょうか。まず私達の「心の目」を良くし、何が真理であるのかを、よく見極めることが出来るようになります。そして「心の耳」を良くし、聖霊の細き御声が、よく聞こえるようになります。その他にも、冷えきった心を「暖め(燃やし)」、鉛のように重たい心を、羽のように「軽く(自由)」にします。悪魔が放つウイルスも、健康な人の心を病気にすることは出来ません。

くれぐれもメタボリックには気をつけましょう。最近、中高年の二人に一人が「肥満」だと言われています。肥満は、あらゆる病気を引き起こします。様々なダイエット方法がありますが、やはり一番良いのは「規則正しく食べ」「運動すること」でしょう。心も同じです。みことばを食べて(聞いて)ばかりいても、心は重たくなるばかりで健康にはなりません。「聞いたら実践する」ことが大切なのです。

また御言葉は「種」にも譬えられています。種が成長するためには「畑の石」を取り除かなければいけません。つまり私達の心にある先入観やプライド、自己中心の石を取り除かなければ、種は深く根を張り、上に成長することができないのです。◆もし自分でその石を取り除けないなら、神様ご自身が「御言葉や試練のハンマー」でそれを砕かれることがあります。また分かっても分からなくても御言葉を聞き続けることによって、耕され続けなさい。信仰によって種を受け入れ、自分の思いを神様に明け渡すことが大切なのです。

ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、
心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。
みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。
また、みことばを実行する人になりなさい。
自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。
ヤコブ1章21-22節

土曜日, 12月 09, 2006

神のかたちを壊すもの

【ショートメッセージ】 第23日目「神のかたちを壊すもの」
前回「聖め」とは「神のかたち」の完全な現れであるイエス様に似た者にされることだと学びました。ではもっと具体的に「神のかたちを回復し」「聖められ」たらどうなるのでしょうか?それを知るために「神のかたち」を失う前の人間と堕落した後の人間の姿を比べ、何を回復するべきなのかを知りたいと思います。

なぜ人間は「神のかたち」を失ったのでしょうか?それは人間の心に「罪」が入ってきたからです。この「罪」とはヘビが言ったように「自分が神のようになる」ことを意味しています。つまり「もう神様なんかいらない」「私は私の思うように生きる」といった具合に神に反抗し、自分が神の座につき、他人と被造物を自分の意のままに操ろうとするのです。この「自己中心な生き方」こそ罪の本質です。

その結果エデンの「平和」は一瞬にして崩れ去りました。それまで人は神様と親しく語り、夫婦の間にも隠し事がなく、自然の恵みを享受できたのに、一瞬にして神様の愛を信じられなくなり、かえって恐れて逃げ、家族さえも信用せず、互いに罪をなすりつけ合うようになったのです。そればかりか、被造物までもが、その悪影響に服してしまいました(ロマ8:20)。罪の破壊力は何と恐ろしいことでしょう。

今なおその影響は続いています。多くの人々が、溢れるほどの自由を手に入れながら、なぜか孤独で、空しく、平安がないのです。世界を見渡し、ニュースをみても「神との平和」「人との平和」「自然との平和」どれもが壊れっぱなしなのです。人は憎しみ合い、自然を破壊(汚染)し、神様に背を向けて生きています。私達クリスチャンはどうでしょう?本当に、この現状に心を痛めているでしょうか?

多くの人々は、この状況を何とか自分の力で解決しようとします。そして外に向かって「平和」を叫ぶのです。しかし平和とは「外」からではなく「内」から回復するものです。環境を変えようとしたり、人を変えようとするのではなく、まず自分がその場にひざまずき、自己中心な生き方を悔い改め、十字架の血潮で洗われた白い衣を着せられ、「本当の平安」をいただくことが平和への第一歩なのです。

聖書には「平和を追い求めなさい」とあるように、失われた平和の回復こそ、人生の大切な目的の一つです。そしてそのためには、まず自己中心の古着を捨て、聖い白い衣を着せられ、「神のかたち」を回復していかなければならないのです。◆そして落ち着いた心で、静かに、「神」と「隣人」と「被造物」を愛していくのです。その生き様が、波紋のように、少しずつ周りの人にも伝染していきますように。それが、遠回りのようでいて、平和(シャローム)の近道なのです。

あなたがたは
古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。
その人は「造り主のかたち」に似せられてますます新しくされ
真の知識に至るのです。
コロサイ3章9-10節