金曜日, 10月 06, 2006

第1日目「全ては神からはじまる」

この世の教えは、全て「自分」から始まっています。「自分の夢は」「自分の願いは」など、自分が心の王座に座り、自分の思い通りに自分の人生を導こうとするのです。時には子供にも、自分の夢を投影するでしょう。そのような生き方は、どこまでいっても満足がありません。それは人間の欲望に限度がないからです。

たとえ物質的な望みを全部かなえたとしても、それで満足できるわけではありません。人間の心は、物質だけでは満たされず、自分がどこから来て、どこに行くのかといった、究極の問を宿しているからです。有名な、数学者にして神学者であった、ブレーズ・パスカルはこう言っています。「人の心の中には、神が作った空洞がある。その空洞は創造者である神以外のものよっては埋めることができない。」ではいったい、本当の満足と平安は、どうしたら見つかるのでしょうか?

私たちは神様につくられた存在なのだから、本当の平安と満足は、神様の内にあります。私たち人間が、生きていく上で欠かせないのは「愛」です。人からの愛も大切です。でも「永遠に変わらない愛」「決して見捨てない愛」を人に求めても、見つかりません。「永遠の愛」は、ただ神様だけ、与えることが出来るのです。聖書にはこうあります。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ7:7)」。これは、「永遠の愛」を、神様に「求めなさい」「探しなさい」「たたきなさい」、そうすれば「必ず見つかるから」という約束なのです。

作られた作品には、すべて「作られた意図」が存在します。制作者は、その作品がどのように用いられるか想像しながら、楽しみに、心をこめて、制作します。例えばバイオリンは、美しい音楽を奏でて、人々を喜ばせます。その光景を思い浮かべながら、制作者は作業を進めるでしょう。でも、いざ出来上がったバイオリンが、フライパンとして用いられたり、ご飯をかき混ぜるしゃもじとして使われたりしたら、制作者はどんなに悲しむでしょうか。

でも多くの人々が、与えられた目的を無視し、自分勝手に生きているのです。そして、私たちを創造された、創造主(神様)を悲しませています。また、作品には、取扱説明書があり、その通りに用いないと色々不具合が出ます。人間の取扱説明書は「聖書」です。そこに、神の子としての生き方が記されているのです。それを無視して生きる時に、様々な人生の不具合(不安、焦り、孤独、関係の破綻など)が生じます。しかし聖書をよくよんで、その言葉に自分を従わせていく時に、壊れてしまった関係の回復と、心の平安(平和)が与えられるのです。

あなたは今まで、何を追い求めてきたでしょうか?そしてこれからは、何を求めていきたいと願っているでしょうか?◇私たちには、「神の作品」として神様が備えられた「人生の目的」があるのです。それを求めるとき、私たちは「本当の平安」を発見するのです。



なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。
天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、
王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。
万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。
(コロサイ1:16)