火曜日, 7月 03, 2007

「しもべとして生きる(上)」

【ショートメッセージ】
第33日目 「しもべとして生きる(上)」

私達の身の回りには「サービス」があふれています。どのお店でも、少しでも良いサービスを提供し、顧客を獲得しようとしのぎを削っています。特に日本のサービス業は、世界でもトップクラスだと言われますが、そんな社会で生活していると、ついついサービスを「受ける」ことが当然の権利であるかの様に思ってしまうのです。でも私達は「神と人とに仕えて生きることも」忘れてはいけません。

チャーチ(教会)ショッピングという言葉があります。「この教会では、どんなサービス(プログラムやイベント、クラス)を提供していますか?」「私の家族に、何か良いサービスがありますか?」と教会を渡り歩くことです。主にアメリカでのことですが、その姿がまるでサービスの良い、お店を探す姿に似ているので「チャーチ・ショッピング」という名前がつきました。誰にとっても、仕えられることは気持ちの良いものです。少しでも安くて、良いサービスが魅力的なのです。

でもサービスは本来「捧げるもの」です。面白いことに英語では、「礼拝」のことを「サービス」と言います。また「奉仕する」を「サーブ」といいます。つまりサービスとは、被造物であり、「主のしもべ(サーバント)」である私たちが、神様に心をこめて「捧げるもの」なのです。受けることばかりを期待するのは、健全な信仰ではありません。私達は、クリスチャンとなり、キリストのからだ(教会)の一部となった瞬間から、「礼拝」と「奉仕」を捧げる者とされているのです。

では良いしもべとは、どういう人のことなのでしょうか?まずは少年サムエルが「しもべは聞いております」と言ったように、いつでもどこでも、主の呼びかけに応えられる心の準備をしている人のことです。また百人隊長のように、「行け」と言われれば即座に出て行き、「これをせよ」と言われれば、先延ばしにもせず、すぐに実行できる人のことです。つまりは、自分の主人が誰であるかを自覚し、その方の権威に服従し、徹底的に「従順」であることが求められているのです。

私達はどうでしょう?御言葉の内に、主の御声を聞いて、それに従っているでしょうか?間違った、この世の主人に従ってはいないでしょうか。人の言葉や評価が、あなたの主人となってはいないでしょうか。自分の気持ちや都合が、あなたの主人となってはいないでしょうか?どうか間違ったものの奴隷となってしまわないように!あなたは「神の友」であり「しもべ」です!!!神の国とその義とを第一に求め、心のこもった「礼拝」と「奉仕」を捧げることが出来ますように。

イエス様が、私達のことを「神の友」とも読んでくださることは慰めです。単なるしもべであれば、それこそ雇われ根性で、主人に仕えてしまうかもしれません。しかしイエス様は、私達を「友」と呼び、十字架にかかるほど愛していてくださったのです。◆この愛を知っているから、私達は「いやいやながらではなく、強いられてでもなく」心から喜んで、この方にお仕えすることが出来るのです。

人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、
キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ないなさい。
このような人が、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。
(エペソ6章6-7節、ローマ14章18節 要約)