火曜日, 7月 03, 2007

「世界宣教に生きる」

【ショートメッセージ】
第38日目 「世界宣教に生きる」


教会で催される「幸せな家庭や人生」というテーマのセミナーには比較的人が集まりますが、「世界宣教」というテーマには人気がなく、なかなか人も集まらないと言われます。また「日本だって大変なのに、なぜわざわざ海外へ…」という疑問もなくなりません。そんな私たちに、聖書は何と言っているでしょうか?

まずリックウォレンは、クリスチャンにも二種類のクリスチャンがあるといいました。一方は「自分の目的のために、神様を利用しようとするクリスチャン」です。彼らは自分と、自分に属する者にしか興味がなく、その他の事柄ためには興味も犠牲もはらいません。しかしもう一方のクリスチャンは「神様の目的のために、自分を使っていただこうとする」のです。神様の目的とは「大宣教命令」のことです!

世界宣教は、バラバラの世界を再び一つします!世界は一度、バベルの塔(人間の罪)によってバラバラになってしまいました。今日も「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がる(マタ24:7)」悲しい現実が続いています。もし私たちが、自分さえ、自分の家族さえ、自分の国さえ救われればよいと考えるなら、私たちも形を変えた「バベルの子孫」ではないでしょうか?でもイエス様は、この地に十字架を中心とした、全く新しい国を打ち立てられました。それが「神の国」です。

神の国には「国境」がありません。国境とは、私達の心にある様々な敵対心、党派心、差別、無関心のことです。しかしイエス様の十字架は、その全ての隔ての壁を崩し、「愛」と「聖霊」によって、再び私たちを「一つ」にしてくださいました。もちろん、それはまだ完全ではありません。でも私達はこの地上でも、その「神の国(御国)の前味」を味わうことが出来るのです。それが、本来の教会の姿です!

神の国はイ、エス様の再臨によって完成します。その日、東からも西からも主の民が集められ、御名が誉めたたえられ、悪は滅ぼされ、「神の国(神の正義)」が実現します。その日がいつなのかは誰にも分かりません。ただ一つ言えることは「福音が全世界に宣べ伝えられ、それから来る」ということです。近年の交通手段やインターネットの発達により、そのスピードは驚異的に速まっています!その日の到来を前にして、あなたは心から「マラナタ(主よ、来たりませ)」と言えますか?

実はジレンマがあります。イエス様を愛すればこそ、神の国が完成を待ち望み、福音を述べ伝えるのですが、そうすると「終わりの日(さばき)」も近づいてしまうのです。自分にとって、その日は喜びなのですが、同時に「まだ困る。私の愛する者がまだ救われていません」との痛みも感じているのです。それは、神様と同じ痛みです。神様も、一刻も早くこの世を救いたいと願いながらも、「ひとりでも滅んでしまうこと」には、胸が張り裂けんばかりの痛みを感じているのです。

私たちには二つのことが出来ます。◆一つは、あなたの心の中のバベルの塔を打ち砕き、無関心という「国境」を取り除くことです。自分の家族、国ばかりではなく、世界に目を向けようではありませんか!◆そしてもう一つは、目の前のひとりのために、心を砕いて「とりなす」ことです。この「痛み」と「とりなし」を忘れてしまったら、私達の世界宣教は空しいものになってしまいます。◆目の前のひとりも、地球の裏のひとりも、神様にはかけがえのない「ひとり」です!

神は、実に、
そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、
ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)