火曜日, 7月 03, 2007

「目的のために生きるとは」

【ショートメッセージ】
第40日目 「目的のために生きるとは」


私達は教会に与えられた、最も大切な命令「大宣教命令」について学んできましたが、この命令には、全てのクリスチャンと教会に与えられた「三つの使命」(目的)が含まれていることを前回学びました。それが「福音宣教」「教会形成」「弟子訓練」です。そしてそれをもっと細かく分類していくと、まさしく私たちが今まで40日かけて学んできた「5つの目的」に見事に一致することが分かります。

具体的に見ていきましょう。◆まず「②交わり」は「教会形成」のことです。私達は、一方的な恵みによって救われ、バプテスマを受け、神の家族の一員とされました。そしてそこで愛の交わりを経験します。◆また「③聖め」と「④奉仕」は「弟子訓練」のことです。私達は自己中心を捨て、与えられた賜物を、神と教会とのために用いていく時に、単なるお客さんではなく、主の弟子として成長していくのです。

いうまでもなく「⑤宣教」は「福音宣教」のことです。私たちは力と賜物に応じて、世界宣教に参加し、時が良くても悪くても証することを期待されています。◆そして最後に「①礼拝」は、それら全ての要素を含む「至高の目的」なのです!礼拝で語られる御言葉は、教会をバランスよく成長させ、未信者を救い、クリスチャンを内から聖めます。どうですか?あなたはこの5つのバランスが取れていましたか?

学ぶだけでは意味がありません。どんなに立派なダイエット器具を購入しても、使わなければただのガラクタです。同様に「人生の目的」も、せっかく40回に分けて学んでも、実行しなければムダな知識にすぎません。◆私達は忘れっぼく、何でも「先延ばし」にしてしまいがちです。だからこそ、学んだことを何度も反復し、自分に不足しているところを発見したら、すぐにそれを補いたいものです。

最終回なので厳しく言います。クリスチャンとして、いつまでも乳飲み子のままであってはいけません。信仰義認、神様の愛と憐れみ、それらは出発点です。確かにキリスト者としての歩みは、そこから始まり、御国に行くときまで、いや御国に行ってからも、その恵みの中に存在し、生かされています。◆しかしこの地上での生涯を、死に至るまで勇敢に走りぬき、忠実なしもべとしていのちの冠を得るためには「自分のからだを打ちたたいて」主に従わせることも大切なのです。

更に、主の目的のためには、あなたのイサクを捧げなければいけません。あなたが一番大切にしているものは何ですか?それが、あなたにとってのイサクです。あなたはそれを、神様に捧げることが出来ますか?◆イサクの場合、間一髪のところで助けられましたが、現実には、そうでないこともあるのです。それでも、あなたは、アドナイ・イルエ、「あなたは私の人生に、最善を用意してくださいました」と告白し、なおも神様を心から礼拝することが出来るでしょうか?◆極論ですが、神様の目的を第一として生きるということは、そういうことなのです。

「あなたの子…、イサクをわたしにささげなさい。」(創世記22章2節)

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
(マタイ6章33節)