水曜日, 2月 14, 2007

本当の奉仕とは

【ショートメッセージ】
第29日目「本当の奉仕とは?」

今日から新しい学びが始まります。それは、5つの目的その4「奉仕:神と人とに仕えて生きる」についての学びです。教会では、よく「奉仕」といわれますが、どうして奉仕がそんなに大切なのでしょうか?そもそも「奉仕」とは何なのでしょうか?そんなことについて、7回に分けて、少しずつ学んでいきましょう!

世の中は空前の「自己啓発ブーム」です。本屋をのぞけば「自分がどうしたら豊かに生きられるか」「影響力のある人間になれるか」「金持ちになれるか」といった自己啓発の本がびっしり並んでいます。他にも「健康ブーム」だったり、「スピリチュアルブーム」だったり色々ありますが、結局は同じことです。人は、手を変え、品を変え、昔も今も、結局は「自分」にばかり関心を向けているのです。

クリスチャンはどうでしょうか。世の中の影響が多少なりともあるのではないでしょうか?「クリスチャンの幸せ」「賜物」「豊かさ」というセミナーはたくさんあります。そういう働きも大切です。でもそれだけでは「自己啓発」と変わらないのではないでしょうか?私達は「自分以外の人々」にも関心を持っているでしょうか?学んだことや聞いたことを、他の人々のためにも活かしているでしょうか?

聖書は厳しく「自分だけ幸せになりたい教」を戒めています。イエス様は「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします」と言われました。金持ちの例えはもっと明らかです。金儲けがいけないのではありません。ただ多く与えられた者は、神と人のためにそれを用いることを求められているのです。それを悟らず、自分のためだけにそれを蓄えようとした金持ちは、結果的に「いのち」を失ってしまいました。

しかし「自分を粗末にしても」いけないのです。もしあなたが、嫌々ながら、無理やり、神と人とに仕えているのなら、知らない間に、人にも同じことを強要し、自分よりも幸せで自由な人を妬む「パリサイ的クリスチャン」になってしまうでしょう。「自分だけ」はいけませんが、「自分も幸せ」になることは、私たちが思う以上に大切なことです。そのためにも「健全な意味での自己投資」が必要となります。

健全な意味での自己投資とは何でしょうか?それは、十字架に根ざし、神の愛をしっかりと心に蓄えることです。聖書にはこうあります。「たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ何の役にも立ちません。(Ⅰコリント13:3)」◆自分が祝福されるためではなく、救われるためでもありません。ただイエス様の愛に感動し、その一方的な愛に押し出されたから、兄弟のために生きるのです。この「愛の基礎」から生まれるものが「本当の奉仕」であり、天に宝を積む「良い行い」なのです。

キリストは、私たちのために、
ご自分のいのちをお捨てになりました。
それによって私たちに愛がわかったのです。
ですから私たちは、兄弟のために、
いのちを捨てるべきです。
(Ⅰヨハネ3章16節)