木曜日, 11月 16, 2006

成熟した交わりを目指して

【ショートメッセージ】
第21日目「成熟した交わりを目指して」

今日は「交わり」についての最後の学びです。イエス様は「幼子のように」と勧められましたが、決して「子供っぽくあれ」とは言われませんでした。聖書には何度も「大人になりなさい」「成長しなさい」と勧められています。では一体、捨てるべき子供っぽさとは何であり、成熟とは何を意味するのでしょうか?

まず「子供っぽい理想主義」を捨てなさい!ある有名な神学者はこう言いました。「目の前の兄弟姉妹よりも、自分の理想を愛す者は、クリスチャン共同体の破壊者となります」と。その例がデオテレペスでしょう。彼はある意味「理想」に燃え、自分の力で教会を刷新してやろうと思っていたかもしれません。そして指導者ばかりか兄弟姉妹をも批判し、交わりを破壊してしまったのです。自分勝手な理想を他人に押し付けるような「子供っぽさ」は、捨てられなければなりません。

成熟するとは第一に安定するということです。聖書には「人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく」とあります。つまりデオテレペスのような人が現れたり、異端の教えが教会に入ってきても、簡単になびいたり、慌てたりしないことです。問題のあるときにこそ「集ること」をやめず、しっかり「聖書の教え」に留まりたいものです。

そして第二に、感情的に衝突するのではなく、話し合いで解決できることです。聖書には「愛をもって真理を語り」とあります。友を失いたくないと、言うべきことを言わないでいたら、その友は永遠に失われてしまうかもしれません。愛と勇気を持って真理を語りましょう。まずは一対一で語り合い、それでもだめなら、信頼できる人といっしょに相談に乗りましょう。それでも悔い改めないときには、教会の「秩序」と「聖さ」を守るために、大人としての「決断」が求められます。

第三に、自分ではなく、隣人を喜ばせることです。子供のうちは「してもらうこと」によって満足を得るものです。しかし大人になると「与える喜び」を知るようになります。交わりも同じです。初めは交わりの中で「分かってもらうこと」を第一に求めるでしょう。しかし成長に伴い、今度は人の話しを聞き、兄弟姉妹を喜ばせ、新しい人を「もてなすこと」に喜びを感じるようになってくるのです。

どうでしょうか?私たちは、考え方において、信仰において、そして「交わり」において大人になっているでしょうか?◆イエス様は、ご自分を喜ばせることはなさりませんでした。ただ神の栄光のために、無条件で私たちを受け入れてくださったのです。◆私たちは人間ですから、全く自分が楽しまないことは不可能でしょう。しかし、それを二の次にしてでも、互いに受け入れあい、「もてなす人」になることは大切です。

キリストでさえ、

ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。
こういうわけですから、

キリストが、神の栄光のために、
私たちを受け入れてくださったように、
あなたがたも互いに受け入れなさい。
ローマ15章3,7節(抜粋)